Vtuberは"嘘"なのか
210122
インターネットにアップロードされた人格を鑑賞するのに慣れてしまったオタクにとってVTuberは紛れもなく「本物」なわけだが、生身の身体にこそ人格が宿ると考える人間にとってVTuberは端的に「嘘」と映りうると知った。
VTuberについて「で、本物はどんな人なの?」と訊かれたとき、概念の捉え方の差を感じ驚いてしまった。でも確かに現実と虚構の境界をずらせばVtuberは本物にも嘘にもなる。その境界をもっと前進させると、例えばコスプレは嘘か?メイクは嘘か?盛れた自撮りは嘘か?みたいな問が湧いてくる。
VtuberのFaceRigと化粧の差というのは生身の肉体(すっぴん)と相手の視界との間に挟まっているレイヤーの量/質的な差でしかないと考えることが可能で、そうなると生身〜VTuberまでグラデーションでしかないということになる。(この話におけるVTuberはキャラを作りこまず素の人格で配信するVTuberを指す)
よく考えたら、SNOWの"盛る"機能とかTikTokやzoomの化粧フィルターとかは完全にVTuber的なFaceRigと物理的な化粧の中間に位置していて、ここまで来るとすっぴんの人間とアニメキャラクターの境界に一本の線を引く試みはより困難になる。
人格をネットにアップロードして肉体からの離脱を試みるという点ではTwitterとか2chは声出しYouTube配信よりさらにバーチャルだと思っていて、我々は皆すでにバーチャル世界を生きるVッタラー(バーチャルツイッタラー)なのだ。
210327
デジタルな加工によって現実の自分に囚われずなりたい自分になれるとしたら、これかなりヴァーチャルじゃないですか!?データにしか存在しえない自分が価値を持って受け入れられるという。肉体至上主義の人からはdisられるのかもしれんが。